アイドルは電脳握手の夢を見るか

アイドルは青春の縮図。

「リボンの騎士」@赤坂ACTシアター 観劇してきました

 乃木坂46生田絵梨花ちゃん主演の「リボンの騎士」東京千秋楽見てきました。

 リボンの騎士の名前は知っているけれどもストーリーはよく知らないという人多いのではないでしょうか。私も例にもれずそのタイプだったのですが、それでもサファイア姫のビジュアルや、男装の騎士という設定はご存知の方も多いと思います。生ちゃんは虹のプレリュードでも男装をしたことがあるということで、今回も女性でありながら男性、という表現がよく馴染んでいました。お家芸みたいになりそうですね。

 

■男の心と、女の心

 そもそも物語が始まって一番びっくりしたのは、サファイア姫の中に男の心と女の心が入っているという設定ですね。産まれが王家だったから王子のふりをしているだけかと思っていましたが、そもそも両方の心を持っているわけですね。なるほど。だからこそ勇ましさと愛らしさの両面を持っていると。

 物語が進むにつれ、サファイアは次第に自分の心の中に2つの心があることを息苦しく思うようになります。1つの心の容積に2つの心が入っているから、自分でもその心を上手くコントロール出来なくなってくるわけですね。そして次第にどちらかの心のみの自分になりたいと願うわけですが、サファイアは女の心を残したいと願います。何故なら、舞踏会の日に知り合ったフランツのことが、女性として気になっているからです。

 この一連の流れを見てふむふむと…。私たちは誰の心の中にどの心が入っているかわかりませんが、例えば手塚先生風に言うと、同性愛者と世間一般では言われるような人たちの中には、神様の取り違えで身体とは反対の性別の心が入ってしまっているのかもしれませんね。面白いですね。

 

■先進的な手塚先生の考え方

 サファイアはシルバー王国(この名前がまた可愛いですよねー!手塚先生って少女マンガ家として本当に最高峰だと思います!)の第一皇女として産まれますが、国を継げるのは皇子のみというしきたりにより、このままではサファイアの従弟であるプラスチック(バカ)が第一王位継承権を手にすることとなります。そのため、王妃は「この子が成人するまでには、なんとか国のしきたりを変えられないかしら」と王に進言し、王もそれを約束します。そんな背景もあってサファイアは、国民に「男の子」だと偽って育てられるようになります。(たまたま男性の心を宿していて良かったですね!)

 これを見て、ものすごい衝撃を受けましたね!手塚先生がこれ描いたのって1950年代ですよ!?60年前!60年前から手塚先生は、男女のポジションに差があるべきではない、女性だってそう生きたいのであれば男性と同じように活躍しても構わない、と考えていたわけです。かたや、日本はいまだに、天皇に女性が即位してもいいかどうかでぐだぐだとやってるわけですね。虹のプレリュードの時もですが、手塚先生の先進性、そして女性に対する優しくも温かい眼差しに感動しました。手塚先生のマンガを読んで生き方に影響をもらったという人が、きっとたくさんいるのではと思います。

 

■自立した女性とは

 さて、紆余曲折ありながらも、サファイアは最終的にどちらもの心を自分の中に戻すことを望みます。片っぽの心がなくなった自分はどこか穴が開いたようで寂しい、どちらもそろって初めて私なんだということを、徐々に自覚していくわけです。

 話は少し変わりますが、劇中のフランツのセリフで「人の心は不完全で、だからこそもう半分の心を求めるのだ」というものがあります。フランツは、僕にとっての半分はサファイア、君だと言いますが、サファイアはもう2つの心を持っているから私はフランツの半分にはなれないと悩みます。しかし最終的には、サファイアは2つの心を同時に持つ自分を選ぶわけです。これは、フランツのことを「もう半分の自分としては求めるわけではない」ということとイコールだと私は思います。

 さて、もう半分の自分とは何でしょう。例えば自分が男性なら、相手の女性にはおしとやかさや家庭的なところを求めるかもしれませんし、自分が女性なら、相手の男性には社会でも負けない強さや逞しさを求めるかもしれません。けれど結局、「自分が持っていないものを相手に求める」ということは、「自分では達成できないことを相手に期待する」のと少し似ているのかもしれません。例えば結婚であれば、女性は男性に社会的成功を求め、男性は女性に家での家事の完璧さを求めたりします。サファイアがフランツを半身として求めずに、お互いの国をお互いで治めていくという決断をしたということは、まさに女性の自立ということと同意のように私には感じられました。

 なので、舞台版で追加されたという天使たちの、「お互いを尊重した結婚」という言葉は、まさにこの舞台を現代社会で演じることとぴったりだったかと思います。

 

桜井玲香はポンコツキャプテンか

 乃木坂ファンなので、乃木坂メンバーの活躍にはやはり触れたい。キャプの役はへケートという悪魔の娘。作り物の存在のため心を持たず、そのお転婆ぶりに母親(はいだしょうこ)が、サファイアの女の心を身体に入れようと画策します。ただへケートは、誰かに決められた道を選ぶなんてまっぴらごめんと、その母親の画策をぶち壊し、最終的に自分自身らしいままで息絶えるのです。 

 なかなかに豪快なキャラクターで、周りのことをいつも気づかい、自己主張できないキャプとは真逆とも言って良いキャラクターです。ただ、へケートの愛らしさやカッコよさが見事に表現されており、とても良いお芝居でした。また、歌の安定感も素晴らしい。生ちゃんはミュージカル風に歌うことを徹底して教育されている感じがあるので、それと比べるとどうしてもアイドル歌手のそれですが、鍛えればもっともっと伸びると思いました。普段がぼんやりしている子なので笑、演技にどれくらい向くのかなあと思っていましたが、読解力と表現力に優れているので、これからもぜひ舞台に立っていただきたいなあと思います。

 後は課題は、ポーズが単調になりすぎるところと、発声がイケてないところですかね。でもこういった部分は慣れなので、玲香ならすぐに良くなると思います!

 

■女性か、男性か、人間か

 最後に、この舞台を見てやはり触れずにはいられないのは、主演の生田絵梨花ちゃんの魅力についてです。

 このサファイア姫という役が決まった時から思っていましたが、生ちゃんの年代で、これほどこの役にはまり役な子はいないのではと思いました。その感想は舞台を見ても一切変わることはなくて、それは何故かというと、生ちゃんが「女性」という枠を超えて、一人の人間としてとても魅力的であるからです。

 私たち生田絵梨花ファンというのは、彼女の飽くなき向上心、その前向きさに惹かれているところが多分にあると思います。ピアノも歌も演技も上手。人から見ると何でもできて人から羨まれることも多い彼女ですが、乃木坂の1st写真集の後書きで言っていたひとことが忘れられません。「羨ましいって言われるけど、代わってみる?意外としんどいよって思います」才能の人でもあると思いますが、それ以上に努力の人だなあと感じます。

 サファイアは、男の心、女の心の狭間で揺れ動きます。けれどサファイアはどちらの心でも魅力的。だって優しくて、正しくて、頑張るということを知っているから。だから結局は、サファイアの魅力に、男とか女とかは関係ないわけです。それはきっと、生ちゃんも同じですよね。可愛いだけの女の子ならいくらだっています。その中から生田絵梨花という少女を選んだのは、それ以上に人間としての魅力に溢れているから。生ちゃんが男の子だったとしても、私はきっと生ちゃんが大好きですし、今と同じくらい力いっぱい推していると思うのです。

 

 

生ちゃんの舞台は虹のプレリュードも見に行っておりましたが、舞台全体の感想で言うと前回のほうがレベルが高かったなあという印象です。乃木坂組は獅子奮迅の活躍だったと思いますが、前回の中河内中村誠治郎、石井一彰がレベルが高すぎたのが恵まれてたねー。でも前回の銀河は750席で今回の赤坂ACTシアターが1200席くらい…確かに集客という点だと今回のキャストの方がありそうなんだよなあ…。

 

いずれにせよ、早く生ちゃんが帝国劇場に立つ日がた!の!し!み!で!す!ね!ヾ(@⌒ー⌒@)ノ